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	<title>コラム &#8211; OiBokkeShi</title>
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	<description>「老いと演劇」オイ・ボッケ・シ</description>
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		<title>狂気の旅に出た</title>
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		<dc:creator><![CDATA[sugawara]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 30 Sep 2016 14:46:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
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					<description><![CDATA[OiBokkeShiの看板俳優・岡田忠雄さん（90）の自宅の居間には、岡田さんがかつてお世話になった映画監督・今村昌平監督の直筆サインが飾ってある。そこにはこう記されている。「狂気の旅に出た」。岡田さんは最近になって、や [&#8230;]]]></description>
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<p>OiBokkeShiの看板俳優・岡田忠雄さん（90）の自宅の居間には、岡田さんがかつてお世話になった映画監督・今村昌平監督の直筆サインが飾ってある。そこにはこう記されている。「狂気の旅に出た」。岡田さんは最近になって、やっとこの言葉の意味が分かったという。「監督、われわれはいま、狂気の旅に出てるんですね」</p>



<p>岡田さんは出会った頃から、ぼくのことを「監督」と呼んでくる。ぼくはそれまで映画監督でも演出家でもなく俳優しかやったことがなかった。しかし、こう考えた。岡田さんは役割を求めているのではないか。岡田さんが俳優という役割を全うするには、ぼくは監督という役割を引き受けなければならない。</p>



<p>これまでOiBokkeShiでは2本の演劇公演を打ってきた。岡田さんの俳優としての意識はみるみる高くなり、最近では「舞台の上で死ねたら本望だ」と声高に言う。90歳の彼の言葉はリアルで重い。ぼくらも「どうすれば岡田さん、舞台の上で死んでくれるかな…」と演劇なのか殺人なのかよく分からないことを真剣に考えてしまう。</p>



<p>確かにこれは狂気の旅なのかもしれない。人は老いてぼけて死ぬ過程でいろいろなものを諦めなければならない。しかし、生きている限り諦めきれないものがある。岡田さんにとって、それが舞台なのだろう。岡田さんは認知症になったとしても舞台に立ち続ける。そして、ぼくは「監督」を演じ続ける。</p>



<p>まさか60も年の離れた老人とこんな関係になるとは思ってもいなかった。芸術文化の力は偉大だ。世代を越えて、障害を越えて、人を結びつける。ぼくも岡田さんが与えてくれた「監督」という役割を命の限り全うするつもりだ。いつか年老いたぼくの前に「俳優」を引き受ける若者が現れることを願って。</p>
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		<title>書を捨てよ、介護しよう</title>
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		<dc:creator><![CDATA[sugawara]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 23 Sep 2016 14:41:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
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					<description><![CDATA[人生に迷っている若者がいたら介護の仕事を勧めることにしている。住んでいるところが都市だとすれば、地方の老人ホームで働いてみるといいかもしれない。 いきなり地方の老人ホームに飛び込むなんて、知り合いもいないし方言も分からな [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>人生に迷っている若者がいたら介護の仕事を勧めることにしている。住んでいるところが都市だとすれば、地方の老人ホームで働いてみるといいかもしれない。</p>



<p>いきなり地方の老人ホームに飛び込むなんて、知り合いもいないし方言も分からないし、生きていけるのかと不安に思うだろう。大丈夫。どこの老人ホームにも必ずフレンドリーなおばあちゃんがいる。介護の仕事は老人の面倒をみることだと勘違いしている人がいるが、老人に面倒をみてもらうことも時には重要な仕事となる。おばあちゃんは畑の耕し方を活（い）き活きと教えてくれるだろう。</p>



<p>もちろんフレンドリーなおばあちゃんばかりではない。老人ホームには頑固なじいさんもいる。君は怒鳴られたり、殴られたり、小便をひっかけられたりする。じいさんの頑固な性格を変えようとして修羅場を迎えるかもしれない。君は「勘弁してくれよ」と弱音を吐くが、じいさんは他人の支えがないと生きていくことができない。</p>



<p>しばらく嫌々ながらも介護をしていると、じいさんの頑固さに慣れてきた自分に気づくだろう。いつも通り小便をひっかけてくれないと心なしか寂しい。君は問題を解決しようとするのではなく、問題に「慣れる」という対処の仕方を知る。じいさんの存在を丸ごと受け入れたとき、あれほど変えようとしても変わらなかったじいさんが変わりはじめる。</p>



<p>このようにして老人を介護していくことで、君は生きていく知恵を身につけることができる。老人ホームの老人の多くは地位や名誉を失い、金銭管理は別の人間に任せている。果たして何も持たない老人たちに「幸せ」と呼べる瞬間は訪れるのだろうか。もし君が自分の仕事に誇りを持つことができたのなら、それは最期の最期まで希望を持てる人間になったということだ。</p>
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		<title>老人役を降りる</title>
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		<dc:creator><![CDATA[sugawara]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 16 Sep 2016 14:34:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
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					<description><![CDATA[老人ホームで働き始めたら「老人」に対するイメージが崩れた。どうやら世間の多くの老人は「老人役」を演じているようだ。孫と接する老女は「おばあちゃん役」を、席を譲られる老人は「か弱い老人役」を。社会が求める老人像というものが [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>老人ホームで働き始めたら「老人」に対するイメージが崩れた。どうやら世間の多くの老人は「老人役」を演じているようだ。孫と接する老女は「おばあちゃん役」を、席を譲られる老人は「か弱い老人役」を。社会が求める老人像というものがあり、これまでそのイメージにだまされてきた。</p>



<p>その事実に気づいたのは、認知症老人たちが「老人役」から見事に解放されていたからだ。老人ホームで出会った認知症老人たちはそれぞれ個性的な人々だったのだが、共通する点があるとすれば「老人らしくない」ことだった。母親の帰りを待つおばあさんは子供のようだし、おばあさんに恋をしたおじいさんは青年のようだ。</p>



<p>OiBokkeShiの看板俳優である岡田忠雄さんの年齢は90歳。彼は認知症を患ってはいないが、舞台に立つことで「老人役」から解放されている。前回公演では、小学4年生の役を演じ、共演者の女性の胸に抱かれて「おかあさーん！」と泣きじゃくった。あまりにも迫真の演技だったので驚いていると、「年をとると不思議とお母さんの胸に抱かれたくなります」と打ち明ける。</p>



<p>社会が求める「老人役」を演じることで、抑圧しなければならない感情がある。認知症老人も岡田さんも、別の役を演じることで、感情を表へ出している。その行為は人を驚かせるかもしれないが、考えようによっては健全である。身体は老い衰えても、心は老い衰えないのだ。</p>



<p>興味深いことに岡田さんは日常生活でも演じるようになった。ぼくが電話をかけると「はい、岡谷正雄です」と本名とは微妙に異なる名を名乗る。別にぼけたわけではない。前回公演の役名を名乗っているのだ。ぼけるより先に、自ら日常生活にフィクションを持ち込みはじめた岡田さんの今後に注目したい。</p>
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		<title>認知症老人のリアル</title>
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		<dc:creator><![CDATA[sugawara]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 09 Sep 2016 14:26:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
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					<description><![CDATA[身近な人の死を経験してから夜に見る夢の質感が変わった。28歳で父親をがんで亡くした。それから繰り返し見るのが、父親ががんに冒されながらもしぶとく生きている夢だ。目覚めてからも父親の気配を感じて部屋を見回してしまうほど、そ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>身近な人の死を経験してから夜に見る夢の質感が変わった。28歳で父親をがんで亡くした。それから繰り返し見るのが、父親ががんに冒されながらもしぶとく生きている夢だ。目覚めてからも父親の気配を感じて部屋を見回してしまうほど、その夢は現実味を帯びている。</p>



<p>つくづく夢は不思議なものだと思う。馬鹿にできない。ぼくは、現実で起きたことが「実際に起きたこと」で、夢で起きたことが「実際に起きていないこと」だとは、全く思っていない。</p>



<p>例えば、幼稚園児の頃に飼い犬がたまに人の言葉をしゃべったと記憶しているが、現実的にそんなことはありえない。おそらく当時見た夢なのだろうが、33歳となったぼくの記憶では幼稚園児の頃の夢も現実もリアリティーの強度は同じくらいだ。当然、その頃は夢と現実で明確な線引きがあったのだろうが、時間がたつに連れ、その境界は曖昧になってくる。もはや何が実際に起きたことで、何が実際に起きていないことかはどうでもいい。ただその記憶がもたらす感触があるだけだ。</p>



<p>介護職員として老人ホームで働いていると、既に亡くなった夫を捜す認知症のおばあさんに出会う。記憶障害によって夫が亡くなった事実を忘れているのだろう。しかし、ぼくは、そのおばあさんは夢の中で毎晩のように夫に出会っているのではないかと思う。夢があまりに現実味を帯びて、目覚めても夫がいると思い込んでいる。</p>



<p>人は長生きをすればするほど、何人もの大切な人を失っていく。父親を亡くしただけでこれだけ現実味を帯びた夢を見るのだから、老人になった時、ぼくはどんな夢を見るのだろうか。夜中の老人ホームの廊下を大切な人を求めてさまよい続けるかもしれない。現実なのか夢なのか、そんなことはどうでもいい。周囲の人はどうか、ぼくの物語に耳をすませてほしい。</p>
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		<title>90歳の俳優</title>
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		<dc:creator><![CDATA[sugawara]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 02 Sep 2016 14:15:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
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					<description><![CDATA[OiBokkeShiの公演では、認知症の奥さんを岡山市南区の自宅で介護している90歳の岡田忠雄さんに出演いただいている。高齢の俳優との舞台作りは刺激に満ちている。 OiBokkeShiを立ち上げた2年前に出会い、今では〝 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>OiBokkeShiの公演では、認知症の奥さんを岡山市南区の自宅で介護している90歳の岡田忠雄さんに出演いただいている。高齢の俳優との舞台作りは刺激に満ちている。</p>



<p>OiBokkeShiを立ち上げた2年前に出会い、今では〝看板俳優〟だが、初回公演では、とにかく岡田さんの健康状態に気を使い、なるべく身体的負荷をかけないように心掛けた。</p>



<p>劇団の中には、走り回ったり、大声を出したりする演出を特徴とするところもある。しかし、岡田さんにそのような演技を求めたら、おそらく死んでしまうだろう。稽古場へは劇団員が送迎し、覚える必要がないせりふ（岡田さんがよく話す内容）を台本に組み込み、休憩も多めにとることにした。</p>



<p>このように体に負担がかからない稽古を徹底したのだが、それでも気掛かりなのは健康状態だった。男性の平均寿命を8歳も超えた老人との舞台作りだから、いつ何が起きてもおかしくない。「もしかしたらこの作品が遺作になってしまうかもしれない」と、つい縁起でもないことを考えてしまう。代役を立てようかとも思った。</p>



<p>しかし、稽古を続けていくうちに、先のことを心配するよりも目の前のことを楽しもう、と意識は変わっていった。それは「岡田さんは常に今この瞬間が一番いい状態だ」ということに気づいたからだ。明日はさらに老い衰えてしまう。今を共に楽しまなくて、いつ楽しめるというのか。</p>



<p>現在、第3回公演に向けて準備中だ。関係者はみな、岡田さんが出会った頃に比べて若返ったと驚いている。どうやら演劇は人を生き返らせる力を持つようだ。次回公演では、岡田さんは殺陣と濡れ場に挑戦することになっている。</p>
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		<title>演じる介護職員</title>
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		<dc:creator><![CDATA[sugawara]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 26 Aug 2016 14:51:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
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					<description><![CDATA[僕の肩書は「俳優」と「介護福祉士」。これまでに老人ホームで数々の役を演じてきた。息子の役、教師の役、時計屋の役。 認知症の人は、食事を食べたにもかかわらず「食べていない」と言ったり、久しぶりに会った孫に「どなたですか？」 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>僕の肩書は「俳優」と「介護福祉士」。これまでに老人ホームで数々の役を演じてきた。息子の役、教師の役、時計屋の役。</p>



<p>認知症の人は、食事を食べたにもかかわらず「食べていない」と言ったり、久しぶりに会った孫に「どなたですか？」と言ったり、周囲の人からするとおかしな行動を取ってしまうことがある。しかし、それは、認知症と診断されたら必ず生じる中核症状が原因だ。いちいちぼけを正したり、失敗を指摘したりしては、認知症の人の感情はとても傷つくだろう。</p>



<p>認知症の人と関わるときは論理にこだわるのではなく、感情に寄り添うようにしている。常識からすれば間違ったことでも、ぼくの目には見えないものでも、演じることで受け止める。既に亡くなった夫を捜しているおばあさんの前では、一緒に夫を捜す演技をする。</p>



<p>認知症になっても人を思いやる気持ちはしっかりと残っている。認知症の人は、人のために何か行動を起こそうとするが、中核症状によっておかしな行動になってしまうことがある。たとえば、老人ホームの廊下で傘を持って掃き掃除をするおばあさん。「それ傘だから！」と突っ込みたくなるかもしれない。しかし、良き介護者は、おかしな行動にそのまま反応するのではなく、その行動の奥に潜む気持ちを察する。「いつも掃除をしていただき、ありがとうございます。新しいほうきを持ってきたので、こちらを試していただけますか」。</p>



<p>「演じる」と言うと、後ろめたさや恥じらいを感じる人もいるかもしれない。しかし、認知症の人の気持ちを受け取ったり、尊重したりするためにはどうしても演技が必要なときがある。俳優の仕事は、フィクションを通じて本当のことを伝えることだ。介護に携わる人々に演じる喜びを伝えていきたい。</p>
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		<title>役を演じる認知症の老人</title>
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		<dc:creator><![CDATA[sugawara]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 Aug 2016 14:46:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
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					<description><![CDATA[「老人ホームは舞台、認知症の老人はみな俳優」。介護現場で働くうちにこんなことを思うようになった。 介護現場で、認知症の老人が周囲の人を驚かせるほどの身体能力や認知機能を発揮することがある。その時は決まって何かの役を演じて [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>「老人ホームは舞台、認知症の老人はみな俳優」。介護現場で働くうちにこんなことを思うようになった。</p>



<p>介護現場で、認知症の老人が周囲の人を驚かせるほどの身体能力や認知機能を発揮することがある。その時は決まって何かの役を演じている。例えば、要介護度５のおじいさんは寝たきり状態だが、あることはできる。ラジオ体操の音楽が流れると身体が動き出すのだ。元体育教師だったという。町会議員を長年務めてきたおじいさんはマイクを握ると流ちょうな演説を始める。認知症の老人はかつて演じた役を与えると、その頃に戻ったように生き生きとした姿を見せる。</p>



<p>問題は、老人ホームに入所している老人の多くが役割を奪われてしまったことにある。これまでの人生で息子役、サラリーマン役や父親役など、さまざまな役を演じてきた。しかし、認知症になり、老人ホームに入所することで、家族との関係が変わり、仕事や家事を奪われてしまった。人は生きている限り、何らかの役割を持ちたいのではないか。</p>



<p>介護職員に求められるのは演出家的な視点だ。老人の人生のストーリーに耳を傾け、今の状態を把握して、老人に合った役割を見つけること。役割を与えられた老人は、舞台に立つ俳優のごとく輝きだす。その姿を見ることが介護職員のやりがいなのだ。</p>



<p>ぼくはいつか認知症の老人と舞台を作りたいと思っている。老人ホームではなく、劇場で上演をしたい。認知症の老人が演じて、観客を感動させる。終演後に拍手を浴びる笑顔を見てみたい。それは観客である地域住民や家族にとっても大きな希望となるはずだ。認知症になっても今ここを楽しむ主人公でいられるのだ。</p>
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		<title>ぼけたらロックンロールを鳴らせ</title>
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		<dc:creator><![CDATA[obs_takou]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 12 Aug 2016 11:10:30 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
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					<description><![CDATA[中学の頃にTHE BLUE HEARTSを聴くようになってから、ずっとロックンロールにだまされ続けている。「常識にとらわれないものを無条件で肯定する」癖があり、「過去よりも未来よりも今を楽しむ」が基本姿勢なのは、そのため [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>中学の頃にTHE BLUE HEARTSを聴くようになってから、ずっとロックンロールにだまされ続けている。「常識にとらわれないものを無条件で肯定する」癖があり、「過去よりも未来よりも今を楽しむ」が基本姿勢なのは、そのためだ。いくつになってもそうありたいと思う。</p>



<p>まさかロックンロールが認知症ケアに役立つとは思いもしなかった。老人ホームでは、夜中に「村の祭りじゃ」と徘徊を始めるおじいさんや、自分の便を団子状に丸めて介護職員に投げてくるおばあさんがいる。そのような常識にとらわれない認知症の人の行動に、僕はつい「いいね!」と思ってしまう。限りなくロックを感じる。もちろんイラッとすることもあるが、心の中で楽しんでいる自分がいるのだ。</p>



<p>多くの人々は認知症になることをつらく悲しいことだと思っている。認知症の人は記憶障害や見当識障害などの中核症状があるため、介護者からするとおかしな行動をとることがある。 しかし、介護の仕事をしているうちに、そのような症状があっても、周囲の関わり方によっては心を通わせることができると気付いた。今を楽しめるのだ。これは大きな希望だった。</p>



<p>ぼくがぼけたらロックンロールを鳴らしてほしい。認知症になるとできないことが増えたり、ぼけを正されたりして、気持ちがむしゃくしゃするだろう。それらの感情は、往々にして徘徊や暴力などのBPSD (行動・心理症状)として表れる。 しかし、ロックンロールはそれらを「表現」として昇華させてくれるのではないか。 認知症になったら、踊らせてくれ。今を楽しませてくれ。間違っても抗精神病薬を飲ませないでくれ。認知症の人に求められるのは処方箋ではなく、アートなのだ。</p>
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		<title>「いのち」の演劇</title>
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		<dc:creator><![CDATA[obs_takou]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 05 Aug 2016 11:02:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
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					<description><![CDATA[ぼくの俳優修業は老人ホームでの業務だった。大学卒業後、東京で俳優として演劇活動を続けていたが、演劇だけでは飯が食えず、28歳の時、介護職員として老人ホームで働き始めたら、価値観が百八十度変わった。 昼下がりに老人と窓の外 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>ぼくの俳優修業は老人ホームでの業務だった。大学卒業後、東京で俳優として演劇活動を続けていたが、演劇だけでは飯が食えず、28歳の時、介護職員として老人ホームで働き始めたら、価値観が百八十度変わった。</p>



<p>昼下がりに老人と窓の外を眺めていると、自分自身を肯定することができた。思い返せば、物心ついた頃から何かを「する」ことを強いられてきた。勉強しろ、仕事しろ、結婚しろ。社会では何かを「する」ことによって、その人の価値が決まる。しかし、老人ホームで自由気ままに過ごしている老人を見ていると、ただそこに「ある」だけで十分に価値があると感じた。</p>



<p>「老いと演劇」OiBokkeShiでは90歳の俳優・岡田忠雄さんと舞台をつくっている。岡田さんは舞台の上にただ「ある」だけで、観客の目を引きつける。たたずまいに、これまでの人生や個性がにじみ出ているように感じられるのだ。</p>



<p>老人や障害のある人と関わることによって、普段の何気ない行為が実はいかに困難で感動的であるかを目の当たりにする。そして、「する」という一歩を踏み出すには、そこに「ある」ことを肯定してくれる存在が必要であることも。</p>



<p>現代社会の生きづらさは、「ある」ことを肯定されることなく、「する」を強いられていることにあるのではないか。 いま「いのち」を見つめ直す機会が求められている。 OiBokkeshiでは老人や障害のある人に舞台に立っていただき、いまここに「ある」ことの奇跡を祝う演劇を作っていきたい。</p>
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