コラム
「一日一題」山陽新聞夕刊掲載
文:菅原直樹
僕の肩書は「俳優」と「介護福祉士」。これまでに老人ホームで数々の役を演じてきた。息子の役、教師の役、時計屋の役。
認知症の人は、食事を食べたにもかかわらず「食べていない」と言ったり、久しぶりに会った孫に「どなたですか?」と言ったり、周囲の人からするとおかしな行動を取ってしまうことがある。しかし、それは、認知症と診断されたら必ず生じる中核症状が原因だ。いちいちぼけを正したり、失敗を指摘したりしては、認知症の人の感情はとても傷つくだろう。
認知症の人と関わるときは論理にこだわるのではなく、感情に寄り添うようにしている。常識からすれば間違ったことでも、ぼくの目には見えないものでも、演じることで受け止める。既に亡くなった夫を捜しているおばあさんの前では、一緒に夫を捜す演技をする。
認知症になっても人を思いやる気持ちはしっかりと残っている。認知症の人は、人のために何か行動を起こそうとするが、中核症状によっておかしな行動になってしまうことがある。たとえば、老人ホームの廊下で傘を持って掃き掃除をするおばあさん。「それ傘だから!」と突っ込みたくなるかもしれない。しかし、良き介護者は、おかしな行動にそのまま反応するのではなく、その行動の奥に潜む気持ちを察する。「いつも掃除をしていただき、ありがとうございます。新しいほうきを持ってきたので、こちらを試していただけますか」。
「演じる」と言うと、後ろめたさや恥じらいを感じる人もいるかもしれない。しかし、認知症の人の気持ちを受け取ったり、尊重したりするためにはどうしても演技が必要なときがある。俳優の仕事は、フィクションを通じて本当のことを伝えることだ。介護に携わる人々に演じる喜びを伝えていきたい。