コラム

「一日一題」山陽新聞夕刊掲載

文:菅原直樹

老人ホームで働き始めたら「老人」に対するイメージが崩れた。どうやら世間の多くの老人は「老人役」を演じているようだ。孫と接する老女は「おばあちゃん役」を、席を譲られる老人は「か弱い老人役」を。社会が求める老人像というものがあり、これまでそのイメージにだまされてきた。

その事実に気づいたのは、認知症老人たちが「老人役」から見事に解放されていたからだ。老人ホームで出会った認知症老人たちはそれぞれ個性的な人々だったのだが、共通する点があるとすれば「老人らしくない」ことだった。母親の帰りを待つおばあさんは子供のようだし、おばあさんに恋をしたおじいさんは青年のようだ。

OiBokkeShiの看板俳優である岡田忠雄さんの年齢は90歳。彼は認知症を患ってはいないが、舞台に立つことで「老人役」から解放されている。前回公演では、小学4年生の役を演じ、共演者の女性の胸に抱かれて「おかあさーん!」と泣きじゃくった。あまりにも迫真の演技だったので驚いていると、「年をとると不思議とお母さんの胸に抱かれたくなります」と打ち明ける。

社会が求める「老人役」を演じることで、抑圧しなければならない感情がある。認知症老人も岡田さんも、別の役を演じることで、感情を表へ出している。その行為は人を驚かせるかもしれないが、考えようによっては健全である。身体は老い衰えても、心は老い衰えないのだ。

興味深いことに岡田さんは日常生活でも演じるようになった。ぼくが電話をかけると「はい、岡谷正雄です」と本名とは微妙に異なる名を名乗る。別にぼけたわけではない。前回公演の役名を名乗っているのだ。ぼけるより先に、自ら日常生活にフィクションを持ち込みはじめた岡田さんの今後に注目したい。