コラム
「一日一題」山陽新聞夕刊掲載
文:菅原直樹
OiBokkeShiの看板俳優・岡田忠雄さん(90)の自宅の居間には、岡田さんがかつてお世話になった映画監督・今村昌平監督の直筆サインが飾ってある。そこにはこう記されている。「狂気の旅に出た」。岡田さんは最近になって、やっとこの言葉の意味が分かったという。「監督、われわれはいま、狂気の旅に出てるんですね」
岡田さんは出会った頃から、ぼくのことを「監督」と呼んでくる。ぼくはそれまで映画監督でも演出家でもなく俳優しかやったことがなかった。しかし、こう考えた。岡田さんは役割を求めているのではないか。岡田さんが俳優という役割を全うするには、ぼくは監督という役割を引き受けなければならない。
これまでOiBokkeShiでは2本の演劇公演を打ってきた。岡田さんの俳優としての意識はみるみる高くなり、最近では「舞台の上で死ねたら本望だ」と声高に言う。90歳の彼の言葉はリアルで重い。ぼくらも「どうすれば岡田さん、舞台の上で死んでくれるかな…」と演劇なのか殺人なのかよく分からないことを真剣に考えてしまう。
確かにこれは狂気の旅なのかもしれない。人は老いてぼけて死ぬ過程でいろいろなものを諦めなければならない。しかし、生きている限り諦めきれないものがある。岡田さんにとって、それが舞台なのだろう。岡田さんは認知症になったとしても舞台に立ち続ける。そして、ぼくは「監督」を演じ続ける。
まさか60も年の離れた老人とこんな関係になるとは思ってもいなかった。芸術文化の力は偉大だ。世代を越えて、障害を越えて、人を結びつける。ぼくも岡田さんが与えてくれた「監督」という役割を命の限り全うするつもりだ。いつか年老いたぼくの前に「俳優」を引き受ける若者が現れることを願って。