コラム「老いと介護の舞台にて」

コラム

第7回「役を奪うのではなく、与える」

文:菅原直樹

「認知症の人のぼけを演技で受け入れると言われていますが、姑に『財布をとったでしょ』と言われたら『はい、盗みました』と泥棒を演じればいいんでしょうか」

ワークショップ後にこういった質問を受ける。

この連載では、介護者は時に俳優になり、時に演出家になることを勧めている。しかし、さすがに泥棒を演じることには抵抗があるだろう。

こういったときは演出家になって考えてみる。認知症の人が今どんな役を演じているのかに着目する。お姑さんは“泥棒を問いつめる役”を生き生きと演じている。

それでは、普段はどんな役を演じているのか。皿洗いをお願いしても、時間がかかるし、きれいに洗えない。料理をお願いしても、段取りが悪いし、味付けもおかしい。「もういいです。私がやりますから、お義母さんは何もしないでください」。認知症になったことで役を奪っていないだろうか。人は、役を奪われると自分が自分でなくなるような感覚に陥る。

もしかしたら、自宅にいながら「家に帰る」と言うお年寄りも、役を演じていたかつての自宅に帰りたいのかもしれない。自分の家であっても、そこに自分の役がないのであれば、居心地が悪い。

このように演出家の視点に立つことで、問題解決の糸口が見えてくる。

役を奪うのではなく、むしろ役を与える。介護の目的は、認知症の人を受け身にすることではなく、主体性を引き出すことにあるのだ。

「財布をとったでしょ」と言うお姑さんは、もしかしたら「役を奪ったでしょ」と言いたいのかもしれない。泥棒を問いつめる役よりも、その人らしい役がきっとあるはずだ。演出家になって適役を見つけてほしい。そして最後にあなたが「ありがとう」を伝えるシーンを作ってみてはどうだろうか。